責任は、明確である方がよい。
誰が何を担当するのか。
誰が監督するのか。
誰が確認するのか。
どこまでが自分の責任なのか。
現場を安全に動かすためには、こうした役割の明確化が欠かせません。
特に建設現場では、資格を必要とする業務も多く、工事全体あるいは特定の工程や作業について、監督や管理を行う人が置かれます。
制度、契約、資格、組織によって、責任を明確にする仕組みは細かく整えられています。
それでも、現場では難しい判断が必要になる場面があります。なぜでしょうか。
現場には「境界」がある
一つの工事には、多くの人と会社が関わります。
元請がいる。
専門工事を担当する会社がいる。
資材を搬入する会社がいる。
設備を担当する会社がいる。
それぞれに担当する仕事があり、それぞれに責任があります。
これは、複雑な仕事を安全かつ効率的に進めるために必要な仕組みです。
しかし、現場で起きる出来事は、必ずしも一つの担当範囲だけで完結するとは限りません。
ある会社の作業が別の会社の作業に影響する。
予定していた工程がずれる。
作業場所が重なる。
資材の搬入時間が変更になる。
天候によって作業条件が変わる。
このようなとき、担当範囲そのものは明確でも、判断すべき問題が一つの担当範囲に収まらないことがあります。
ここに、現場特有の難しさがあります。
責任の境界に、複数の責任者がいる
責任の境界というと、誰の担当でもない空白のようなものを想像するかもしれません。
しかし、実際にはそうとは限りません。
境界の周辺には、複数の担当責任者が存在しています。
A社の責任者は、自社の工程を管理している。
B社の責任者は、別の工程を管理している。
現場の統括者は、工事全体の進行を管理している。
それぞれが自分の責任を果たしていても、複数の工程や作業が重なったときには、個々の担当範囲だけでは判断できない問題が生じます。
例えば、A社の工程が遅れたことで、B社の作業場所や作業時間が変更になる。
A社から見れば工程の問題。
B社から見れば作業条件の問題。
現場全体から見れば、安全管理や工程調整の問題です。
同じ出来事でも、立場によって見えるものが違います。
ここで必要になるのは、個々の責任者が自分の担当範囲を管理することだけではありません。
複数の責任者が、同じ課題を共有し、全体として判断することです。
上位管理者は、何を管理するのか
複数の担当責任者が関係する問題については、それらを横断して調整する立場が必要になります。
そこで上位管理者や統括責任者の役割が重要になります。
ただし、上位管理者が存在するだけで、問題が解決するわけではありません。
例えば、各担当責任者から個別に報告を受けていても、それぞれの情報が独立したままであれば、全体として何が起きているのかを把握できないことがあります。
A社は工程の遅れを報告する。
B社は作業環境の変化を報告する。
C社は資材搬入の変更を報告する。
それぞれの報告は正確でも、それらを関連づけなければ、全体に及ぼす影響は見えてきません。
上位管理者に求められるのは、単に報告を受けることではありません。
個別の情報を関連づけ、複数の責任者が共有すべき課題を明らかにし、必要な協議と判断につなげることです。
つまり、
担当責任者を管理することと、担当責任者だけでは把握できない全体を管理することは違う。 ここを区別する必要があります。
責任の階層化と、全体管理は同じではない
組織には、一般的に責任の階層があります。
担当者がいて、担当責任者がいて、さらに上位の管理者がいる。問題があれば上位者に報告し、必要な判断を仰ぐ。
これは組織を動かすための基本的な仕組みです。
しかし、責任の階層が整っていることと、組織全体の状況を把握できていることは同じではありません。
上位管理者が各担当責任者の報告を受けていても、それぞれの報告が個別の業務に限定されていれば、複数の問題が重なったときの影響を把握できないことがあります。
また、担当責任者同士が互いの業務を理解しているとも限りません。
それぞれが自分の役割を果たしていても、全体としての課題が共有されていなければ、組織として適切な判断ができない可能性があります。
ここで問われるのは、管理者の人数や階層の多さではありません。
分けられた責任を横断して把握し、全体として判断する機能があるかどうかです。
分業化が進むほど、全体の共有は難しくなる
この問題は、建設業だけに限ったものではありません。現代社会では、専門化と分業化が進んでいます。
それぞれが専門性を発揮し、決められた役割と責任を果たす。
これは、複雑な仕事を進めるために必要な仕組みです。
しかし、分業化が進むほど、個々の担当者が把握する情報は限定され、判断できる範囲も細分化されていきます。
その結果、個々の業務は適切に管理されていても、全体として何が起きているのかをリアルタイムで共有することが難しくなる場合があります。
例えば、個別の部門では合理的な判断でも、組織全体では不合理な結果になることがあります。
それぞれが自分の責任を果たしていても、部門間の情報が十分に共有されなければ、全体として適切な判断ができないこともあります。
ここで必要になるのが、ガバナンスの共有です。
何を基準に判断するのか。
何を優先するのか。
どのような場合に部門を越えて協議するのか。
こうした共通認識がなければ、情報が集まっても、判断が一致するとは限りません。
分業化された組織では、個々の責任を明確にするだけでなく、それらをつなぐ仕組みも必要になるのです。
責任を分けることと、責任を分断することは違う
ここには、似ているようで大きく違う二つの状態があります。
責任を分けること。
そして、責任を分断すること。
責任を分けるとは、
「あなたはこの部分を担当する。私はこの部分を担当する」
ということです。
それぞれが自分の役割を果たしながら、全体として一つの仕事を完成させる。
これは分業です。
一方、責任を分断するとは、
「そこは自分の担当ではない」
という言葉によって、問題そのものから距離を置いてしまうことです。
しかし、現場では担当外であっても、異常や変化に気づくことがあります。
そのとき必要なのは、担当外の人が勝手に責任を引き受けることではありません。
「これは自分の担当ではないが、気になることがある」
と伝えることです。
そして、その情報を受けた担当責任者や上位管理者が、必要な協議と判断につなげる。
この関係があってこそ、責任の分担と現場全体の安全を両立できるのではないでしょうか。
事故が起きた後なら、責任の線は引きやすい
事故が起きた後なら、記録をたどりながら、責任の所在を整理することができます。
誰が担当していたのか。
誰が監督していたのか。
どんな指示があったのか。
どの規則が適用されていたのか。
しかし、事故が起きる前は違います。
まだ事故ではない。
まだ明確な違反でもない。
ただ、
「少し状況が変わった」
「いつもと違う」
「このままでいいのだろうか」
という段階です。
この段階では、責任を確定することよりも、状況を把握し、必要な判断をすることが重要になります。
そして、その判断には現場の情報が必要です。
だから安全を考えるとき、「責任者は誰か」だけを見るのでは足りません。
「現場の変化が、担当責任者を通じて上位管理者に届き、全体として必要な判断につながっているか」
を見る必要があります。
責任の明確化は、安全のための仕組みである
ここまで考えると、責任を明確にすること自体が問題なのではないことが分かります。
資格制度も必要です。
監督者も必要です。
管理者も必要です。
報告や協議の仕組みも必要です。
それらがあるからこそ、複雑な現場を組織として動かすことができます。ただし、それだけで現場全体を管理できるわけではありません。
現場は変化します。
複数の工程が関係します。
個々の担当範囲を越えて影響が広がることもあります。
だからこそ、責任を分ける仕組みと同時に、分けられた責任をつなぐ仕組みが必要になります。
制度が責任を明確にする。
組織が担当責任者を置く。
担当者が現場の変化を確認する。
担当責任者が情報を共有する。
上位管理者が全体を把握し、必要な協議と判断を行う。
この一連の流れがあって、初めて制度は現場で機能します。
そして、ここで改めて考えたいことがあります。
責任を分ける仕組みは発達した。しかし、分けられた責任を横断して全体を把握する仕組みは、それと同じように発達しているのだろうか。
責任の所在を明確にすることと、現場全体を見渡せることは同じではありません。
個々の責任が明確になるほど、それぞれの担当範囲は見えやすくなります。
一方で、それらがどのようにつながり、全体として誰が何を把握し、どの段階で判断するのかという構造は、かえって見えにくくなることがあります。
だから、
責任を明確にするほど、責任は見えなくなる。
これは、責任者がいなくなるという意味ではありません。
責任が細分化され、複数の役割と判断が重なり合うほど、全体としての責任の構造が見えにくくなることがある、という意味です。
そして、そこにこそ、制度と現場のズレが現れます。
責任の境界を明確にすることと、現場全体を見渡せることは、同じではありません。
分けられた責任を、誰が、どのように全体の判断につなげるのか。
それは、制度を整えるだけでは答えが出ない問題なのかもしれません。
次回予告
次回予告
制度と現場のズレ⑥安全は数字で測れるのか
事故件数、災害件数、発生率、ヒヤリハット、点検実施率。
安全を考えるため、私たちは多くの数字を使います。
数字は、現場を比較し、変化を把握するための大切な道具です。
しかし、
数字が「安全」そのものを表しているのでしょうか。
それとも私たちは、
数字にできるものだけを、安全として見ているのではないでしょうか。
次回は、「安全」という言葉を、数字という別の角度から考えてみます。
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