前回、私たちは「現象は、どうやって客観になるのか」という問いを考えました。
目の前で起きたことは、まず一つの出来事(現象)です。それを観察し、記録し、他の人にも確認できる形にする。
そこに、**エビデンス(客観的な判断を支える根拠)**が加わります。
測定値、写真、検査結果、記録、実験データ。
そうしたものを通じて、私たちは一つの現象を「自分だけが見たもの」から、「他の人も確認できるもの」へと変えていきます。
では、客観的に扱えるようになった現象を、もう一度同じように起こすことができたらどうでしょうか。
そこで登場するのが、再現性です。
同じことが、もう一度起こる
科学では、ある現象を一度確認しただけでは、それが本当に一定の関係を持っているのか判断できません。
そこで、同じ実験を繰り返します。
・温度をそろえる。
・圧力をそろえる。
・材料をそろえる。
・時間をそろえる。
・使用する装置や測定方法もそろえる。
できるだけ条件を同じにして、もう一度実験を行う。そして、同じような結果が得られるのか確認する。
これが、科学における再現性を支える基本的な考え方です。
ここで、一つの疑問が生まれます。
なぜ、条件をそろえるのでしょうか。
答えは簡単です。条件が違えば、結果が違ってしまうからです。
しかし、もう少し深く考えてみると、別のことが見えてきます。
私たちは再現性を求めることで、現象の周囲に「条件」を作り始めているのです。
「条件」は自然に書かれているわけではない
例えば、ある温度で化学反応が起きたとします。
次に同じ反応を確認しようとすれば、
・「温度は何度だったのか」
・「材料は何だったのか」
・「どのくらいの時間だったのか」
ということを確認します。そして、それらをそろえて再び実験する。
つまり、私たちは単に自然現象を眺めているのではありません。
何をそろえれば同じ現象を確認できるのかを考え、条件として設定している。
ここが重要です。
自然界に「実験条件」という札が貼られているわけではありません。
人間が現象を理解し、比較し、再現するために、必要な要素を選び出しているのです。もちろん、自然現象そのものに規則性が存在することと、人間が条件を設定することは別の問題です。
しかし、人間がそれを「再現可能な現象」として扱うためには、観察する条件をそろえなければならない。そこには、人間による整理と選択があります。
エビデンスにも、条件が必要になる
ここで、前回の「客観性」とつながります。
エビデンス(客観的な判断を支える根拠)も、何の条件もなく存在するわけではありません。
例えば、ある測定値があったとします。その数字だけを見ても、
「いつ測ったのか」
「どこで測ったのか」
「何を使って測ったのか」
「どのような方法で測ったのか」
が分からなければ、その数字を正しく評価することはできません。つまり、エビデンス(客観的な判断の根拠)を活用するためにも、一定の条件が必要になります。
そう考えると、
・現象を観察する。
・記録する。
・エビデンスにする。
・条件をそろえる。
・再現する。
という一連の流れが見えてきます。
私たちは、現実をそのまま客観化しているのではありません。現実の中から観察するものを選び、測定し、記録し、比較できる形にしているのです。
これは科学だけの話ではない
こうした考え方は、科学の世界だけに存在するものではありません。
製造業では、材料の規格をそろえ、加工方法を決め、設備や工程を管理します。
建設では、設計図、材料、施工方法、検査方法などを定めます。
医療では、検査方法や診断基準、治療方法などを一定の基準に沿って整理します。
教育でも、学習内容や評価方法をそろえることで、一定の基準によって比較できるようにします。
行政も同じです。
申請書類、審査基準、手続き、期限。
さまざまな条件を設定することで、誰が担当しても一定の判断ができるようにしようとします。
つまり、
再現性を求めるところには、条件づくりが生まれる。
これは科学だけの特徴ではなく、現代社会そのものの特徴なのかもしれません。
条件をそろえることが、本当に悪いこと?
ここで誤解してはいけないのは、条件をそろえること自体が悪いわけではないということです。むしろ、条件をそろえるからこそ、品質を安定させることができます。
・同じ製品を作る。
・同じ手順で作業する。
・一定の安全基準を守る。
・誰が担当しても、ある程度同じ結果を得られるようにする。
これは社会を安定させるために、とても重要な仕組みです。
問題は、その条件が現実のすべてを表しているわけではないことです。
現場には、想定していなかったことが起きます。
・天候が変わる。
・材料の状態が違う。
・作業員の経験が違う。
・工程がずれる。
・周囲の状況が変わる。
人間関係や心理状態まで考えれば、完全に同じ条件を作ることはできません。
それでも私たちは、できるだけ条件をそろえようとします。
なぜなら、条件をそろえなければ、比較することも、評価することも、再現することも難しくなるからです。
条件を作ることで、見えるものと見えなくなるもの
ここに、少し不思議なことがあります。
条件をそろえると、現象は分かりやすくなります。ばらつきが減り、比較できるようになります。当然、再現性も高まります。
しかし、その一方で、条件の外側にあるもの(条件として設定していない要素の影響)が見えにくくなる可能性があります。
・実験では「温度」を一定にする。
・製造では「材料」を一定にする。
・建設では「施工方法」を一定にする。
・行政では「手続き」を一定にする。
そうすると、私たちは条件の中で起きたことを、非常に正確に扱えるようになります。
けれども、
その条件から外れた現実を、どう扱うのか。
この問題が残ります。
再現性を高めるために条件を作る。条件を作ることで、客観的に比較できる。しかし、条件を作った瞬間に、そこからこぼれ落ちる現実もある。
もしかすると、私たちが「客観的」と呼んでいるものの中には、こうした人間による条件の設定が深く関わっているのかもしれません。
そして、この問題は、やがて科学の世界だけでは済まなくなります。
・制度を作るとき。
・ルールを決めるとき。
・現場を管理するとき。
私たちは、どこまで現実を条件の中に入れることができるのでしょうか。そして、条件の外側にあるものを、どう扱えばよいのでしょうか。
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※ この記事は、合同会社正進(メディア事業)の経験と、現場での考察に基づくものです。正進の母体である正進総合保険企画(2004年開業・損害保険代理店)の知見も含まれますが、建設業に関する専門的な技術的助言ではありません。個別の事案については、必ず専門家にご相談ください。

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